前住職の三回忌法要を勤めました
去る9月21日、前住職である父の三回忌の法要を勤めさせていただきました。早いものでもう二年も経ちました。多くのご縁ある皆さまにお参りいただき、共にお念仏申すご縁をいただきましたこと、心より御礼申し上げます。

また、本日9月23日には、村の墓地におきまして秋彼岸の法要をお勤めし、そこで父が二年前に往生される前日にしたためていた法話の原稿を代読いたしました。前住職の言葉がそのまま伝わるよう、以下に法話の原稿を全文掲載いたします。
おはようございます。
私50歳を向かえ、それまでは、この世の知り合い、友人が圧倒的に多く、お浄土に往かれた方は極少数だったのですが最近では、お浄土に往かれた方が大変増えました。家族や親戚や、親しくしていただいた方がお浄土に往生されています。
人が生きていく限り、誰かと別れていかなればなりません。必ず、誰かと別れていきながら、私達はこの世を生きています。もうこれ以上親しい人とは別れたくない、ずっとそのまま暮らしていきたい。そうは思うのですが、それは無理なことです。
先月、私の親戚の方がなくなり、お通夜のお参りに行きました。その時のお坊さんのお通夜の御法話で「私たちが死別の苦しみを受けないで済む時は、私たち自身がお浄土へ往生したときなのだ」とおっしゃっていました。愛別離苦、愛する人と別れる苦しみ これを受けないで良いのは仏の世界である、お浄土だけなのです。
そのお浄土について、先ほどのお経、『仏説阿弥陀経』には倶会一処の世界とあります。倶会一処、倶(とも)に一つの処(ところ)で会う お浄土では亡き人と再開が約束された場所なんだということです。今生での別れは永遠の別れではない、浄土で会うまでのしばしの別れなんだ。再び会うことが出来たときに晴れやかな気持ちで会いたい。私の場合なら、父、友人、祖父母、おじ、おばにお浄土でお会いしたときに「お疲れさん」と言っていただけるようにしたいなあと思います。
亡くなった方々は、決して「無」になったのではなく、「浄土に往生」された。(往き生まれた)そのお浄土は再会が約束された場所、亡き人との気持ちの良い再会ができるように、自分を律して「今」を生きるということを今日のお彼岸法要を通して感じていただきますよう、お念仏申し上げます。
父の遺徳を偲ぶとともに、阿弥陀さまのお導きのもとに歩ませていただいていることを深く味わわせていただいた一日でした。これからも前住職の遺志を受け継ぎ、光専寺の護持発展に努めてまいりたいと存じます。
光専寺 住職 北島 一輝 (掲載日:2025年9月23日)






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